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第七話 魔女の学校

内乱の終結は、あっけないものだった。

空腹で集中力も気力も無くした敵を一方的に叩くだけの、戦いとも言えないただの蹂躙。

最初の決戦は、父王殺害から三週間後。

そして最後となる二度目の決戦はわずかその三日後。

カイオス王国を二分した大きな内乱だったが、結局は一か月も経たないうちに集結したのだった……。

「では、行きましょうか」
「はい、リリス様」
「……はい」


そしてそれから十日もしないうちに、リリスは荷物をまとめて城を出た。

カイオス王国。ここにはもう、何の価値もない。

唯一の家族と言えた兄が居ない。

残ったのは、新しい政権内で自分の地位を盤石なものにしようと躍起になっている貴族達と、内乱が終わっただけなのに安堵して連日パーティを開いている暗愚の王。
――結局、王が変わっても、国は変わらないようだった。

だからリリスは見切りをつけた。

国を救いたいと想っていた兄。

その兄の力になりたいと想っていたリリス。

その想いは、何の意味も、価値も、なかったのだ。

ただ、それが少し悲しかった。

結局。

カイオス王国の内乱を経て気付いたのは、それがただの、リリスの復讐でしかなかったということだけ。

それが果たされた今、そこには何も残らなかった。

リリスも王の血族であったから国に残るようにという声も少なくなかったが、それは固辞した。

今度は暗愚のtabaiと政争を起こすのか?

くだらないと、リリスを抱き込もうとした貴族の目の前で言ってやった。

王権など、国の運営など、リリスにとって一切れのパン以下の価値しかないのだから。

「リース。あの老人が言ったように、私はもう歴史に干渉しないわ」
「その方が良いでしょう……ただ、モンはすでに頭を抱えていると思いますが」
「そうかしら。だといいわね――女性の部屋へ勝手に入り込んでくるような人だもの、それくらい悩んでも罰は当たらないと思うわ」
「……そうですね」


明るくなったな、と。

リースは思った。

表情から険が取れた。

年相応というにはまだ暗い雰囲気をまとっているけれど、リリスは以前より活力に満ちた表情を浮かべて、歩き出す。

城を後にする。

その後を追うのは、二人。

一人は燃え盛る炎のような赤髪の少女、リース。

そしてもう一人は、甘いクリーム色の髪をボブカットにした、虹彩異色の瞳を持つ少女、ミラ。

内乱の際、自陣で見かけた孤児の少女だ。

リリスは時折見かけるこの少女が、とても気になっていた。

何が気になるのか?

それは、今になってなお分からない。

ただ惹かれるものがあって、内乱が終わりを迎える少し前に交流を持ち、そして戦後の雑事が落ち着くころには養子として引き取った。

ミラもまた……行く当てがないのでリリスの養子となることに抵抗はなかった。

「それで、リース。モンという老人はどこに住んでいるのかしら?」
「さあ……ですが、必要になればまた、リリス様の前に姿を現すかと」
「だったらまず、私の土地に行きましょう――」
「その必要はないよ、リリス。儂はここだ」


その声は、いつかのようにすぐ傍から。

老人は王城を出ようとするリリス達が歩く庭園の傍らに腰を下ろし、手に持ったキセルを指で回して遊ばせていた。

ぼろぼろのローブと三角帽子を纏った灰色の不思議な魔法使い――モンだ。

「あれほど歴史に干渉するなと言うたのに」
「ごめんなさい」
「……事が終わってから素直になられてものう」


そう言って、モンはため息を吐く。年相応の、疲れた老人のため息だ。

リリスはもう一度「ごめんなさい」と謝った。

慣れているリリスとリースはいつも通りに、けれど、初めて突然現れる老人を目にしたミラは目を剥いて驚いた。

それが当然の反応だと、モンはからからと朗らかに笑う。

「では行くか。『蒼の魔女』リリス」
「どちらまでエスコートしていただけるのかしら、魔法使い様」
「ふん……貴様は第三エスタリアの歴史に干渉し過ぎた。この世界の連中が貴様にこれ以上関われん場所じゃ」


モンが言っている言葉は、リリスとミラには難解だった。

この大地がエスタリアと呼ばれていることは知っていても、何を以て『第三』と称しているのかが分からない。

第三があるのなら第一、第二もあるのかと思案していると、モンは空を見た。

……復讐で視界が曇り、見えなくなっていた七つの星が、青空に浮かんでいる。

「今なら、星々の周囲に存在する破砕エリアが見えるであろう?」
「破砕……あの、星を囲む小さな残骸の集まりが?」
「うむ――まあ、論より証拠。口で説明するよりも、経験するべきかの」


そこで、気付く。

いつかのように――あれは、王に刃を向ける直前のこと。

あの時と同じように、リリス達以外の時間が止まったかのように、周囲が停滞していた。

「これが、魔法?」
「今更じゃろうに……お前、今日まで何度魔法を使っておった?」
「覚えていないわ」
「無意識か――末恐ろしい才能じゃの」


モンの呟きにリリスは首を傾げるしかなかった。

彼が何を言っているのか、本当に分からなかったからだ。

「王を貫いた刃はどこから現れた?
この停まった時間の中でなぜ会話することができる?
まるで未来が分かるかのように反乱軍の動きが理解できたじゃろう?
そして……人の目では見る事が出来ないほど遠くにある星々の小さな変化が、見えるはずだ」


不思議なことに、モンの言葉はすんなりとリリスの頭の中に入り込んできた。

ああ、なるほど、と。

リリスはそこでようやく、一つ納得する。

「だから私に、歴史に干渉するなと」
「そういうことじゃ」


つまり、だ。

内乱の間もずっと感じていたが、敵がどう動くか、どうすれば少ない犠牲で戦う事が出来るか、オルダー公国の行動を制限できるか。

どうして戦争の経験がないリリスが最良の選択肢を選び続ける事が出来たのか……それが答え。

文字通り本物の『蒼の魔女』となり、世界の真理、概念――本質。

そんな言葉すらも正しいのかもわからない、問題の内容よりも先に『答え』を理解する能力。

リリスはそれを無意識のうちに利用していた……ような気がした。

魔法。

本当に、文字通りのそれ。

無から有を創り出し、どのような状況でも最良を選択し、時間にすら干渉する。

今もそう。

リースとミラは二人の会話に集中して気付いていないが、リリスとモンの周囲は止まっている。

まるで水中に沈んでいくかのように、水面から差し込む陽光が空気の流れを映してオーロラのように揺れていた。

頭上にある七つのエスタリアが、揺らぐ空気の中で色を映えさせる。

落ち葉は空中で停止し、空を飛ぶ鳥の翼は羽ばたかない。

これが、世界。

リリスが、『魔女』が生きる世界の一面なのだと、思考が、精神が、魂が理解する。

すう、と。

気持ちが晴れた。

リリスは無意識に、大きく息を吸って、吐く。

それは、今までの人生で一番美味だったような気がして、モンへ笑顔を向ける。

すとん、と。何かが胸の奥に落ちて、そこにあった穴が埋まったような気がした。

それは兄を失った悲しみで。

そして、初めて目覚めた時に感じた冷たさだ。

大切なものを無くして、きっと同じくらい大切な何かを失った……その穴が、埋まったような気がする。

「どういうことでしょうか?」


話についていけないリースとミラが、答えを求めてリリスを見上げてくる。

彼女は、その……どこか、迷子の子供のような顔に、口元をほころばせた。

今までとは違う、柔らかな笑みだ。

「今から説明するわ。きっと、時間はたくさんある」
「そうじゃな――さて、どうなることか」


次の瞬間には、その場から四人の姿が消えていた。

王城の守備兵たちは、気付かない。

『最初からそこには誰もいなかった』と認識し、今までと同じように不動の体勢で立ち尽くす。

カイオス王国は、今日から数年、混沌の時代となる。

暗愚な王。金儲けに腐心する貴族。前王の側近で構成される反乱軍の残党。そんな混乱に便乗する隣国、オルダー公国の暗躍。

そんな母国のことなど忘れ、リリスはモンが『破砕エリア』と呼んだエスタリアを囲む無数の岩場――無人衛星の一つに居を構える。

エスタリアと同じく酸素があり、緑があり、水がある。

獣も住むエスタリアと同じ環境のそこは、彼女の人生においてはじめての『楽園』であった。

リリスはそこに、一つの建物を作る。

後に『魔女の学校』と呼ばれることになる、最初の『学校』。

『最初の魔女』リリスが教鞭をとるそこに、最初の生徒は五人。

リースとミラ、そして訳ありの少年少女達。

カイオス王家のリリスが表舞台から姿を消して数年。

物語は校長リリスへと移り、彼女の新しい人生として続いていく。




『蒼の魔女』は願う。

自分が歪めてしまった歴史の修復を。





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